ねこみみプリンセス 10 ちょうひっさつでこぴんー
一方。
姫とじゃぱんを乗せた雲は、目も開けられないほどの速さで進んでいた。何かにぶつかったら、即死間違いなし。
「ぶっ、と、とめろ! とめろネコミミー!」
「そんなぁうべべべべー」
風圧強。
雲の止め方を知らないネコミミ姫は、ただしがみついていることしか出来ない。
そろそろ酸欠になるぞというところで、速度は次第に緩やかに、少しずつ収まってきた。顔の変形も回復してくる。
「はあ、はああ」
「ふすー、すぱー」
今までろくにできなかった呼吸を取り戻していく二人。
びゅごごごう、と、それでもあたりは強い風が吹いている。
一息つき、落ち着いて目を開けると、向こう側に小さな影があった。
「! おいあれ!」
「ぺんぎんさん……」
まるで空中に浮かぶ大陸のように。
ペンギンはぷかー、と浮かんでおり、こちらへゆったりと進んできた。その上には、マーガライトの姿もある。
青空になびく緑の髪の魔術師は。
開口一番。
「……おはー、姫」
じゃぱんは口を開けて固まった。
「おはー、マーガりん!」
元気なうえ、冷静な姫。
「……おい、カサンドラが学園に襲ってきたんだ!」
即座に事態を思い出し、あわてぎみのじゃぱん。
ふうう、と息をついて、マーガライトは話し出す。
「知っています。遅くなってごめんなさいね、姫。家を閉める準備をしていたものだから」
「しめるー?」
「……あの家でカサンドラと戦いになったら、家も私達もこの世から無くなるでしょう?」
少し困ったように言うマーガライト。
がーん。
あっさり言われ、青くなるじゃぱん。マーガライトの力は未知数だが、ちょっとは期待していたのに。
その口ぶりでは、流石にカサンドラに勝てる自信はなさそうである。
「おい……、どうするんだ」
「ん? 勿論逃げますよ」
しれっと言う魔法使い。
「じゃあ早く……」
「いや、普通に逃げても追いつかれますし」
……。
たしかに。
「……しかし何か、手はあるんだな?」
「ええ。ではまず、すべきことを。姫、おいでおいで」
「むー?」
マーガライトの手招きに、素直にとことこ進んでいく姫。
魔法使いはすっ、と右手を上げたかと思うと、言った。
「うなれ風! 超必殺でこぴん!」
ぴん! ドガッ!
「はぐう!」
「おぐあっ!」
ずしゃあああああッ!
恐ろしい威力のでこぴんが姫を直撃した。
同時にふっとばされ、悶絶する姫とじゃぱん。シンクロ率高し。
脳震盪を起こし、きゅうう、と姫は気を失ったが、じゃぱんは痛みにのたうちまわる。
「あぐうぐぐぐぐ」
「おや、じゃぱん君の方が打たれ慣れしてますね。流石」
「おま、おまえっ……」
妖精の文句を聞こうともせず、すい、と空を指差すマーガライト。その先には、赤と黒の点があった。
凍りつくじゃぱん。あの影は。
「き、ききききた! カカカカカ!」
「じゃぱん。手伝ってくれますね」
「何を! 早く!」
「この近くに、台風があるのを感じますか? 呼んで」
そうこうしている間にも、点は大きくなっていく。
「よしわかった! わかったから逃げるぞ!」
「いやわかってないし……」
ため息と共に、マーガライトに、ぷに、と摘み上げられるじゃぱん。じたばたじたばた。
「わああ! いやだー! あいつはなー! 一瞬でウォータードラゴン五匹キレイに両断してたんだぞ! ムリ絶対勝てないし!」
にっこり。マーガライトはいい笑顔を見せる。
「だめなら一緒に死にましょう」
「いやだー、お前と死ぬなんて絶対いやだー!」
バササ、と羽音が聞こえてきた。カサンドラとの距離はぐいぐい縮まっている。
「……じゃぱん、私の頭の上へ」
不意に、がしっと掴まれ、頭に載せられるじゃぱん。
次第に湿った風が、吹いてきた。こんな上空だというのに……。
バサ……。
そして。
黒髪なびく最強剣士は、顔色ひとつ変えずに、やってきた。
背中には黒い羽。虚ろな瞳。そして、強い気。感情は何も感じない。
ただ純粋な力そのままであるかのように、たたずんでいる。
そしてカサンドラは、ペンギン島にねそべるネコミミ姫を認め、そして間に存在する者たちを、見た。
濁った瞳には、なんの感情も映らない。
ただその右手にある、いつの間にか抜いた長剣は、曇りの無い美しい肌を見せていた。
ガキガキガキィン!
突如響いた金属音。
身動きひとつしないマーガライトから、真空の刃が放たれたのだ。その全てを、身を翻し、剣を駆使してかわすカサンドラ。少し距離が、離れた。
カサンドラに傷は全く無い。ぼそりと、マーガライトはつぶやいた。頭上の妖精に向かって。
「……ほらじゃぱん、呼んで。台風」
「わ、わかった。だが……」
「大丈夫です。私達には台風と、今カサンドラがバカだという勝機があります」
「バカ……」
やはり、姫とマーガライトは、考え方がどこか似ているのかもしれない、と思った。ほんのわずかに、希望が生まれる。
カサンドラは体勢を立て直した。あたりに分散した羽が、またもとの翼に戻る。
じゃぱんは、とにかくその妖精の力を使い、台風を呼び寄せようとした。
そこに聞こえてきたのは。
ナ カ ナ カ ヤ ル
……心を冷たい手で鷲づかみにするような、低い声。
言ったのは、梟だった。カサンドラの体を借りて、呟いているのだ。
イ ケ
そして、びくりと体を震わしたと思ったとたん。
早口な、小さく震える声がした。女の声。
うう……、ひ、め……。ああ……!
呻きに続いて、呪文のような声が編まれた。泣き叫ぶような声だった。
「……姫のために姫のために姫のために姫のために姫のために!」
突如、扇状に羽が広がり、一斉に美しい軌道を描いた。羽が襲うのは、マーガライトだ。
ザザザザザ!
マーガライトは、身動きひとつしない。
しかし、体から強い衝撃が放たれた。
羽は全て限りなく細かく裂かれ、黒い霧のように、散った。
……ひゅう。
カサンドラは、呼吸を整える。もうどこにも、心の乱れはなかった。静かに構えをとる。
じゃぱんは心臓が凍りついた。見覚えのある構え。そこから繰り出されるもの、それは一瞬で生命を奪い取る太刀筋。
幾度見ただろう。そのたびに相手は、血が流れ出す前に絶命した。戦士も、魔法使いも、竜も。
……あれが今、自分にも襲い掛かってくる。ふるえだす体。
「じゃぱん、ありがとう」
礼を言うマーガライト。死に臨んで、いままでの礼か? と思ったが、違った。
突然、強い暴風雨があたりを包んだ。呼んだ台風が近づいてきている。
黒雲の中には、竜巻、真空刃、水の礫。
はあ。
不思議な呼吸をして、マーガライトは扉を開放する。
近くにあるエレメンタルを受け、増幅する力。
「はあ……」
ヒュ……ゴオオオオ!
突然、空中のカサンドラを、全方向から強い嵐が襲った。
流石にバランスを崩す剣士。
マーガライトは、ひとさし指を、すっと刺した。
「……フェイル」
小さな呟きと共に、水は氷の礫と化した。
「!」
ビシ! とカサンドラの周りの空気が結晶化する。
カサンドラの体自体はレジストするため、ダメージをほとんど受けないようだが、羽は違う。見る間に霙交じりの雪がまとわりついて、固まって、そして凍り落ちる。
どんどん使い物にならなくなっていく羽。
羽が使えなくなれば、カサンドラは空中で体勢を整えることができず、落ちる!
「おお! 凄いぞマーガライト!」
「! じゃぱん掴まって!」
それは一瞬のことだった。
なんて早い動きだろう。
カサンドラは、乱れた気流の流れを読み、計算しつつ新たに生み出した羽を、飛ばし、その一瞬の足場を使い、飛び石伝いにこちらへ近づいた!
瞬時に振り下ろされる長剣は、目視することすらできない。死ぬ! とじゃぱんは悟った。竜をも両断する剣筋である。
しかし意に反し。
全身を襲ったのは、強い金属音と衝撃。
剣をとめたのは。
マーガライトの脚だった。
体を倒れそうなくらい傾かせ、高く上げた脚。
その脚は、見たこともない闇色の結晶に覆われている。なんらかの強い魔力が働いているようで、ありえないことに、カサンドラの刃を、わずかに押し返していた。
カサンドラの暗い瞳が、歪んだ。
空中にいるのはもう、限界だ。黒髪の戦士は目を閉じた。腕を開き、体を空にゆだねる。
じゃぱんが見たのは、どこか夢見るような表情のカサンドラ。
静かに広がる、赤いマントと黒い髪。
それはゆっくりと、空を落ちていった。
下には台風の黒雲。カサンドラはぽす、と雲の底に落ち、あっという間に見えなくなっていった。
ゴオオオオオ!
一瞬、あたりを吹き荒れる暴風。耳が痛い。
しかしそれは次第に収まりをみせ、青い空が凪となっていった。
「……」
呆然とするじゃぱん。掴まっていなければ、落ちるところだった。
はらり、とスカートを直すマーガライト。
「お前……、足」
あの闇色の結晶はなんなのだろうか。エレメンタルの結晶だとは思うが、じゃぱんはあんな結晶は見たことが無かった。しかもカサンドラの刃を、跳ね返すことのできる結晶など。
「ああ。今まで気付いていませんでしたか。注意力ないですねえ」
ふうう、とまたため息をつくマーガライト。
「あいつは知っているのか?」
「知っていますよ。姫とは、一緒に寝たりしちゃったし」
「なにい! いつのまに!」
「たまにねー。別に人に言えないようなことはしてませんが」
「しててたまるかー!」
少し笑って、ふうう、とマーガライトは、空を見上げた。
「さあ、またカサンドラが体勢を立て直して追いつかれる前に、急いで逃げましょうか。家財道具全部持ってきましたし」
「たいへんやったでー」
足元から声がする。ペンギンだ。
「どこへ、いくんだ」
「コネのある王国へ。そこならプラータは追っ手を出しませんよ」
「どこだ?」
「それは着いてのおたのしみ~」
ふふふふふ、と謎の怪しい微笑を浮かべるマーガライト。
「姫は落ちたら困るから、私が掴んでいきましょう。飛ばしますよ~。じゃぱん君も掴まって」
「わた、え、待て……!」
超高速ペンギン。
息の出来ない空の旅ふたたび。気を失っていたほうが、幸せだったのかもしれない……。
ヒュウウウウウ。ヒュウウウウ。
風のなる都。
もう二百年になる。強い風に土は吹き飛ばされてしまう。国民達はその手で木を植える。何年も、何年も。何年も。
そしてどんなに国力をつけても、いつかこの国は露と消えることを国民達は知っている。
ここは、いつか滅びゆくことを悟っている場所。
ここは『キャッスルゲート』の国。
二百年前、エレメンタル戦争がこの近くで起こった。
第十二層から妖精がこの層を奪わんと、侵略してきたのだ。その戦争が終わって以来、この国はずっと風の脅威にさらされている。
「ジョルディス様!」
「……なんだ、騒々しいぞ」
抑揚のない答えをしたのはこの国の皇太子、ジョルディスだ。重騎士だった国王とは対照的に、冷静で寡黙。そして王を継ぐ者には珍しい、魔法使いでもある。
最近キャッスルゲートの向こうが騒がしい。そこは第十二層、妖精の世界。いつ侵攻してきてもおかしくは無いという緊張の中に、この国はあった。
冷静を装っているのか、ただそういう性格なのか、彼はいつも動揺した風を見せない。
「風の魔道士、マーガライトが来ました!」
「……あの魔法使いが? 何故……。いくら頼んでも超ばっくれるあの魔法使いが……」
いきなり言葉が乱れるのは、若さゆえなのだろうか。
「とにかく、謁見を望んでおります」
「わかった」
優雅に進んでいく皇太子。どうやらマーガライトは、三階の大バルコニーにいるらしい。
……。
そこで彼がみたものは。
ダレたペンギン(大)
ダレたねこみみ。
ダレた妖精。
ペンギンに座り、足を組んでダラリとくつろぐ魔法使い。見事なダレダレ生物たちだった……。
「や。ジョーちゃん」
突然気楽に呼ぶところを見ても、この魔法使いは全く変わっていないようだ。
「お久しぶりです。偉大なる風の魔法使い。このたびはいかなるご用向きで?」
「ちょっとしばらく泊めて」
いきなり来た迷惑な居候のようなマーガライト。皇太子は、肩をすくめる。
「……おもてなしは、できかねます。これからゲートが開きそうなのは、ご存知ですね。戦争が起こるのですよ」
「わかってる。力を貸すから」
ぴくり、と初めて青年に動揺が走った。この魔法使いの性格は、いささか有名だ。いいかげんで気まぐれ、縛られるのが大嫌い。
そんな魔法使いが、何故突然協力を言い出すのか。そこまでしてこの国に留まる理由があるのか。この滅びゆく国に。
……問いただしても、無駄だろう。青年はぴこっと動く、ねこみみにも目をやった。
「わかりました。心ゆくまでご滞在を。父には私から話しておきます」
「どうも。あと、どこかに野菜を植えかえたいんだけど」
「全てお望みのままに。偉大なる魔法使いよ」
「……むー」
ペンギンの上から、声が聞こえた。ねこみみの生えた少女だ。
ねこみみが生えているということは、つまり。
「お……、おきたんか、ねこみみー」
「ぺんぎんさん、つかれたー?」
「おう。ここは風が強すぎるんや。とぶのきついでー。ねこみみはへいきかー?」
「ひたいがいたいー」
皇太子は、何も聞かずに去っていった。わからないことは、わからないままでいいのだ。そうすれば、なにもないことになる。
静かに、早足で執事らしき男が現れ、マーガライトに話しかけてきた。
「マーガライト様。お部屋をご用意させていただきます」
「あの東側の日当たりのいい部屋がいい」
「心得ております」
数人の召使がペンギンごと、姫とじゃぱんを部屋に運び入れた。
「わー、らくちんー」
「おいー、そこは、ちょっとさわったらあかんでー」
「うう……。赤い悪魔が……(うなされてる)」
三人が去ったのを見届けると、マーガライトは窓の外を眺めた。
「……だいぶ、荒れていますね」
「覚悟を決めなくてはなりません」
執事もただ、窓の外を眺めるばかり。
「私達は、戦うほかはないのです」
キャッスルゲート。そして層。
それは、概念との争いともいわれる。
ゲートが開き、第十二層に第十三層が武力制圧されると、いつしかゲートは消える。
そしてまだ十二層の力の及ばないところに、新しい閉じたゲートが出現するのだ。ちなみに席巻された場所は、十二層に完全に飲み込まれてしまう。
そして多くの十三層の住民は、十二層のエレメンタルの強さに、生きてはいけないのだ。
「あのゲートが開けば……、今度こそ、この国は滅ぼされてしまうでしょう」
その言葉に。
マーガライトは不思議な微笑みを浮かべた。
その頃、姫たちは寝ていた。ぐっすりと。
「ふぎゅ」
という声にも気付かずに。
春の風が吹いている。
波打つ髪。優しい微笑み。
何故ここにいるのか、と尋ねた。
「たのしいからよ」
一瞬にして花がほころべば、きっとこんな感じなのだろう。
「精霊の力が弱い分、ここには存在できるいろんな、余計なものがあって。ほら、花はどこでも綺麗」
そして姫は、傍の植物にそっと触れる。
ここで遊んでいて、いいのか。その言葉に、顔を少し曇らせる姫。
「……滅ぼすという場所を知ることは、とても大切なことよ。お姉さまにも、いつか私の気持ちが届けばいいけれど……」
だが、貴方が帰らないのは、あの男のせいじゃないのか。
そう言うと、姫はいたずらに笑った。
「たぶん、決まっていることなのでしょう」
ふと気付き、姫は駆けていく。好きな人のもとへ。
俺はただ、その後姿をみつめるだけ。
姫と俺との会話も、ただ風と話すようなものにすぎない。
全ては俺と関係の無いように、時は動き、姫は笑う。
いかないでほしい、という心も、もう届かない。
じゃぱんは冷たさを感じて、目が覚めた。
ぞくっとして身を起こすと、手が少しつめたい。
ペンギンの上に自分と、姫がいた。
姫は、涙を流し続けている。自分の手は、濡れている。
「うう、むむー……」
「……おい、起きろ、起きろ」
うなされているようだ。じゃぱんは姫の耳元で、ねこみみを引っ張りながら呼び起こす。
「いっちゃいやー、いっちゃいやー、おいていっちゃいやー」
「起きろ!」
少しヒステリックに言うと、姫はびくりと身をふるわせ、そしてきょとりと目を覚ました。
「……何の夢を、見ていたんだ」
姫は汗と涙でぐしゃくしゃになっていた。息は荒く、顔も腫れている。
「わ、わかんないけど、いいゆめー」
「……」
窓の外はガタガタと揺れていた。ここは風が強い。エレメンタルの影響を受けてしまい、遠い記憶に作用しているのかもしれない。魔法学校のエレメンタルは、教授たちによる支配力が強かったからこんなことはなかったのだが……。
「顔、洗ってくるか? 探せば、なんとか見つかるだろ」
「むー……」
じゃぱんは動きを止める。姫の頭についているねこみみに、不意に小さな憎しみが湧いた。
ガタガタガタ……。
風が強すぎる。
廊下の窓から差し込む、月の光。
姫はふいに、じゃぱんを見つめた。浮かび上がる左半身。月は姫の体に、青白い影を作る。
「……じゃぱんー」
「どうした」
「こわいかおしてたー」
その言葉に、無理な笑顔を作るじゃぱん。
「……疲れたんだ」
そら、行くぞと言うと、姫はじゃぱんに、いつものようについていった。
じゃぱんは不思議な感情に支配されていた。
昔と同じ感情。憎しみによる、高揚感。
ふふふ、うふふふふ。
あの笑顔を、思い出したからだ。夢で。
静かな夜。冷たい床に、裸足の足音だけが響く。
「ふぎゅ」
変な声が聞こえて、廊下を見ると見覚えのあるオカッパ頭がいた。パジャマ姿である。
「あー、ラーメンの」
「無事だったか?」
おかっぱの名前は忘れてしまった二人。
「あなた達……、昼にも思いましたが、どうしてここにいるんですの! ここは私の城ですのよ! っつ……」
何故か顔を赤らめて、もじもじするオカッパ。ややのち、思い切って言った。キレぎみに。
「……ちょっとトイレに行ってくるから、そこで待っていなさい!」
「あ、ひめもトイレー」
「いや! 連れションなんていやですわ!」
「おい……、トイレくらい行かせてやれや……。こいつ場所わかんないんだし」
「ひとにはしんせつにー」
「……くー!」
おかっぱが走り出したので、それを追う姫。あきれてたたずむじゃぱん。
深夜の廊下に水を流す音が響きわたり、やがて二人の姫は力なく、ぺたぺたと戻ってきた……。
なんだか情けなさを感じて、ため息をつくじゃぱん。
姫はおかっぱ姫に話しかけた。
「ねー」
「なんですの?」
「まえいた部屋が、わかんないー」
「……」
廊下を振り返ると、同じようなドアがいくつもいくつも並んでいる。
「わかるー?」
「わかりませんわよ! わたしが分かるのは、自分の部屋くらい、で……」
ねこみみに、じーっと見られるおかっぱ。その視線の意味するものは。
「ま、まさか……。いや、いやですわ!」
「おれいに、おばけがでたら、姫がたたかうからー」
「いやああ! 嫌なこといわないでくださいませっっ!」
ガタガタ、なり続ける窓。落ちる闇と沈黙。
結局押し切られて、おかっぱは自分の部屋で、ネコミミ姫と一緒に寝ることになったのだった……。
「わー、ぱふぱふー」
「あああ飛ばないでくださいませっ!」
「ペンギンの上とは一味違うな」
じゃぱんは思った。そうだ。ペンギンなんかの上に寝たから、夢見が悪かったのかもしれない。良かったのかもしれないが。
おかっぱは押入れを探し、枕や毛布を用意したりしてくれている。さっきは水もくれた。けっこう親切である。
「えーと、おかっぱさん……」
「私の名はジョスリン!」
「えーと、ジョーちゃん……。マーガりんとは、しりあいなのー?」
ジョーちゃんは枕カバーを装着しながら答える。
「いいえ。私は顔を見たことがあるくらいで、話したりはしたことはありませんわ。兄や父とは、交流があるようですけれど。詳しいことは知りません」
じゃぱんは、ふと思いついて言った。
「……プラータ。プラータのことは、知っているか?」
マーガライトは、プラータはここには追っ手を出さない、と言っていたのだ。
「プラータ? ええ……。たしか、わたしの兄ですわ」
「兄?」
意外な答えに、驚くじゃぱん。聞いていた話とは違う。プラータの国は、リングウェイという大国のはずだ。少なくとも、こんなキャッスルゲートの近くではない。
「たしかってー?」
姫は疑問符をつける。確かに、少し頼りない言い方である。
「ええ。……確かにわたしの兄の一人はプラータというのですが、ほとんど会ったことがないんですのよ」
困ったように言うジョスリン姫。口に出すのも久しぶりなような、ぎこちない言い方だった。
「どうしてー?」
「さあ、よくは知らないんですが、この国にいると病気が悪くなるということで、小さな頃から違う国で暮らしているんですの。母親が私たちとは違うこともあって、疎遠で。数回しか会ったことはありませんわ。会ったときには一緒に遊んでくれたのですが……」
その、一生懸命思い出そうとするような感じには嘘はなさそうだ。
「ぶーたんのお母さんはー?」
「……父……、王が追い出してしまったのですわ。私たちの母親もそうですが、どうしてか子供ができて数年もすれば、城から追い出してしまって。私たちももう二度と、母と会わせてもらえないのです。兄があとを継げば会えるとは思うのですが……」
沈痛に呟くジョスリン。この国の王は、どうやら変わった人のようだ。
プラータが手を出さない、というのはこの国が母国だからなのだろうか。
「どうして、ジョーちゃんは魔法学校にいるのー? おひめさまなのにー」
自分のことを棚に上げて尋ねるネコミミ。
ジョスリン姫は、ベッドを整える手を止めた。
「……わたし、いつか父の決めた相手と結婚して、どこかに行ってしまうんですもの。自分の時間は無くなってしまうでしょう。それまでの時間、何かをしたかったのです。父上は私を城から出してはくれないのですが、魔法学校だけは許可してくださいましたの。魔法が使えれば、少しは兄上のお力になれるかもしれませんし……。でも魔法もさっぱり。そのうえゲートが開いて、また戦争が始まるかもしれないなんて……」
枕を抱きしめて、力なくうなだれるジョスリン姫。この姫も、見かけより苦労が多いようだ。
……ガタガタ……。
コンコン!
「きゃあっ!」
「わ」
叫ぶ二人の姫。
「ここにいましたか、姫。心配しましたよ」
かちゃっとドアを開けたのは、マーガライトだった。鍵をかけておいたはずなのだが……。
「廊下にでたら、かえりが、わからなくなったのー」
「そうでしたか。では、おやすみなさい」
もとの部屋に戻らないのか、と言いたそうなジョスリンだったが、ネコミミ姫がにこにこ布団に入っているので、諦めたようだ。
「待てマーガライト。俺はもとの部屋で寝るよ」
じゃぱんは飛び立つ。ふたりの姫の身の上話など、あまり聞きたくなかったのだ。
「そうですか? では行きましょう」
あっさりと言って、一緒に連れ立って部屋を出るじゃぱんとマーガライト。
ドアを閉め、二人で歩き出した。廊下には、一人分の足音が響き渡る。
マーガライトは言った。
「……あなたにも、覚悟が必要でしょうね、じゃぱん」
「何の覚悟だよ」
「分かっているのでしょう。ここに来たことでもね」
黙り込むじゃぱん。そんなのわからない。わからないさ。マーガライトは何を知っているのだろう。何も知らないはずだ、と思い切れないのが魔術師だ。
脳裏に、『姫』の笑顔がちらつく。
これも、ゲートキャッスルに近いことが影響しているのだろうか。
また俺は、あのネコミミ姫を憎みはじめてしまう。殺したいほどに。
ふたりの姫は、本格的に布団にもぐりこみ、灯りを消した。
あとは目と口を閉じるだけだ。
「……あなたは、なぜ魔法学校にいたんですの?」
ぽつりとつぶやくジョスリン姫。
「えー?」
「あなたも姫なのでしょう? 使役妖精もつれて」
「うん。じゃぱん、最近もの運んだりしないけどねー」
「じゃぱん?」
「うん。じゃぱんだよー」
「変わっていますわね。普通使役妖精には、名前なんてつけないんですのに」
「そうなのー?」
「そうです。本来妖精は、形を持ったことの無いもの。それにカタチを与えて束縛するのが使役妖精なのですわ」
少しひけらかすように、ジョスリン姫は言い続ける。
「じゃあ、だれが、じゃぱんのなまえをつけたのー?」
「そ、そんなの私が知るわけがないじゃありませんの! 多分作った人か、誰かでしょう」
「むー……」
それきり、ネコミミ姫は黙ってしまった。まずったかな、と少し心配になるジョスリン。
しばしの沈黙のあと。
ジョスリン姫の耳に、寝息が聞こえた。
……やれやれ、と思いながらネコミミじゃない姫も目を閉じる。
意識を失えば、風の音も静寂に等しい。ふたりはいつしか同じ部屋で、同じ寝息を奏でていた。
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