ねこみみプリンセス 12 わたしだけの姫君

 そこはわたしが初めて見る、空の色だった。色というより、雰囲気なのだろうか。

 肌に溶け合うような空気。

 弱くやわらかな風。

 弱さに守られているようなそんな、場所。

 わたしは、草原にたたずむ。

 緑はやわらかい色をしていた。

「春だからだろう」

 その人はそう言う。優しい声。耳の奥にしみいるような気がした。

 涙を流すと、その人は困ってしまって、理由を尋ねてくる。

 いえるわけもない。

 ここが滅びてしまうことが哀しいのだと。あなたが死んでしまうことが耐えられないのだと。

 らー。

 らー、らー。

 わたしは歌をうたう。

 音楽と、言葉を両方表すことは難しくて、こんな風にしか歌えない。

 涙が零れ落ちても、私は歌った。歌い続けた。


 十二層は、耳が痛いほど、静かだった。エレメンタルは最低限しかいない。

 しかしここの出身であるじゃぱんには分かった。空気や環境などが十三層の人間が存在できるように整えられている。意図的に、道が作られているのだ。自分たちを通すために。

 ねこみみ姫は目を閉じたままだ。マーガライトは、いつでも魔法を使えるように、身構え続けている。

 じゃぱんが感じるのは、恐怖だった。

 なにか、大きすぎる存在が、自分たちを呼んでいる。それが誰なのか、妖精にはわかっていた。

 パキン。

 空間がはじけるような音がした。

 ペンギンは、飛び続けている。

 やがて、淡い桃色の宮殿が表れた。

 肌に感じる恐怖は、高まる一方だ。

「むー」

 ひとつ、うめいて、ネコミミ姫は目を開けた。

 即座にはっとして、マーガライトに抱きつく。

「ついたでー」

 ペンギンは、宮殿の前に自らを横たえた。気をつけながら降りる姫とマーガライト。

「ここどこー」

「十二層ですよ」

「ほうー」

 辺りを見回すねこみみ。薄気味悪いほど、静かで、広い。マーガライトが促した。

「さ、入りましょう、姫」

「こわいー」

「そうですね。でも、進まないほうが、怖い」

 まるで、溶けない氷でできているような、宮殿の階段。それを、ふたりは静かに進み始めた。

 かつ、かつ、と音が鳴り響く。

「……姫は、しあわせですか?」

 突然、魔術師はそんなことを話し出した。

「えーとそこそこー」

「真実に近い答えですね。人は、決して、自分が思うほど幸せでも不幸でもありません」

 階段の向こうは、長い長い廊下だった。すすむほかはない、一本道だ。

「それでも、今以上の幸せが欲しいならば、今の幸せを捨てなければなりません」

 続けるマーガライト。かつ、かつ。歩調は崩れない。

「今まで積み上げてきたものを捨て、しなければならないことや、我慢しなければならないことも増える。知らなくてもいいことまでも、知らなければならない。ときには命を失うでしょう」

「はいー」

 わかっているのかいないのか、姫はのんきに相槌を打つ。

 やがて、扉が見えてきた。ただ大きなその扉は、ゲートによく似ていた。

 それは近づくと音もなく開いた。その中には一人の女がいた。

 こちらをまっすぐと見つめている。赤い、憎しみの色をたたえて。

 姫はびくりと、身をふるわせた。まだ遠くて、とても小さくしか見えないのに、声ははっきりと聞こえた。

「わたしがわかるか?」

「よんでたひとー」

 返事と共に、女は動いた。

 フォン。

 女は音もなく、目の前に近づいた。びびる姫。

 真っ直ぐな髪をしていた。赤く燃えるような目をした、美しい女。だが明らかに、人間ではない。

「……ああ」

 女は身をそらし、軽くうめいた。風がざわめいている感じがした。

「わたしの姫のにおいがする……。やっと帰ってきてくれましたね、わたしの姫」

 そしてネコミミ姫をみつめ、いとおしそうに手を広げる女。しかし姫は、一歩あとずさった。

「ちがうー」

 その言葉に、笑顔で応える女。なんと幸せそうな笑みなのだろう。まるで、カサンドラのような。

「わかっていますとも。あなたは、わたしの姫の娘。命を奪った人間。けれどあなたは、わたしの姫。わたしだけの姫」

 狂気と愛情の混ざった表情だった。今すぐキスをすることも、首を落とすこともできそうな表情だ。

「わかんないー」

 ふふふ。

 首をふる姫の困惑などにはかまわず、満足げに笑う女。

「あなたを、もう決して十三層へ帰したりしませんとも。わたしだけの姫。あなたは水の女王。わたしの愛と涙」

「ちがうー」

「それでもあなたが十三層にいたいなら、全て奪ってあげる。13層を全て」

「ちがうー、ちがうー」

 姫は目を見開いたまま、視点を失いかけていた。

「やめてくれ!」

 耐え切れず、じゃぱんが口をはさんだ。

「こいつは十三層の体だ。あんたが近づいただけで、体は悲鳴をあげ、心は引き裂かれる!」

 じゃぱんにはわかる。姫は混乱し切っていた。薄い一枚のハンカチのような精神力で、この十二層の、精霊王と話すことすら、無理がありすぎるのだ。

 そう、この女は精霊を束ねる王。この姿すら、仮のものでしかない。

「貴方は思い違いをしているようですね、ジャック・パンサー」

 うってかわって、冷たい口調が奏でられた。じゃぱんの首元に、刃が当てられるような感触が走る。

「お、オレの、名前を……?」

「知っていますとも。あの姫がつけた名前なのですもの。わたしは、あの姫につながる全てが欲しいだけです。心など要らない。無いほうがいい。引き裂く」

 恐怖に、息を飲み、黙りこむじゃぱん。

「わたしだけの姫が、貴方を作り、名を与えたのだから。わたしは貴方の身体も欲しい」

「……じゃぱんー?」

 そう姫が言ったとたん。破裂音がして、ネコミミ姫はよろめいた。

 突然、精霊王が、姫の頬を打ったのだ。

「わたしの許可無く、他のものなど見ては駄目。汚らわしい……十三層の肉体。わたしの、わたしだけの姫が死んだのはお前のせいだ、お前のせいだ! ……生きている価値など無い」

「! てめえ!」

 怒るじゃぱん。びっくりして、ぱちぱちと目をしぱたく姫。

 あああ、と王は苦しげにのけぞる。

「ああ、エルスリードは、お前のせいで死んだ! お前がいなければ、死なずにすんだというのに!」

 エルスリード。

 姫が、そのまま気絶でもしてくれればいい、じゃぱんはそう願った。しかし姫は呆然と向き直り、そして尋ねてしまった。

「……おかあさまー?」

 震える声だった。エルスリード。それは、姫の母親の名前。

「そう」

「どうしてー?」

「それは、そこの妖精にでも聞けばいい。姫の娘よ」

 そう言うと突然、女は後ろを向いた。

「ないてるのー……?」

 姫は、妖精王にそう尋ねた。そう見えたから。

「しばらく、休んでいくがいい。姫の娘よ」

 そう言って、その女の姿はかき消えた。

 あとには、ただ静寂だけが残る。ぽん、と肩に手がのせられた。マーガライトだ。

「いきましょう、姫」

 ほわ、と姫はマーガりんを見つめ、そして、うながされて外へ出た。

 外は、夜になっていた。濃い藍色の空。

 足元に、月が浮かんでいた。正確には月ではないのだろう。それは飛び込めば、抱きとめてもらえそうに大きく、美しかった。

「きれ、いー」

 じゃぱんは突然、姫を追い越して飛んでいった。そして視線の先にある細い橋に、腰掛けた。

 綺麗だな。

 妖精王の侵略を止めるため、エルスリード姫が初めて形を持って、十三層に来たときも美しかった。白い月。夜の闇。花の香するそよ風。

 恋をしたときも、そして花嫁になるときも。

 子供を産んでさえも、ただ美しかった。

 傍にいて、見ているだけだったが、それでもよかった。

 その頃のじゃぱんには、姿も名前もなかった。ただ見ているだけの、そこにいるだけの、妖精。美しい姫は全て自分で決め、自分で喜び嘆き、そして死んでいった。

 十三層に来て、そして恋をし、残り、子供を産んだ。

 じゃぱんの声が、姫にはっきりと聞こえ、会話をしたのは、姫が死ぬとわかったときだった。声が届いていることさえも、知らなかった。自分が怒っていたことさえも。

(今すぐ帰らなければ、貴女は死ぬんだぞ。それでも、そんな生まれてもいない十三層の子供のために、ここに残るのか)

 姫は、何事もなかったように微笑む。

「そうです。この子は、わたしの命より大事なの」

 あたりまえのような口調。

(俺はそいつが憎い。姫を殺す、そいつが憎い)

 姫はやっぱり普通の口調で、こう言った。

「あなた、わたしのことがすきなの?」

 すき?

 そんな風に言わないで欲しかった。

 自分の中にある火照る思いとは、とてもかけ離れている気がして。

 言葉にならない思いが、硬く小さな宝石になってしまう気がして。

「ごめんなさい。くるしいのね」

 わからない。なくことも、さけぶことも、この気持ちが何なのかも、はっきりとはわからなかった。そもそも気持ちとはなんだろう? そして、自分は何者なんだろう?

 優しく微笑む姫君。やわらかくうねる髪。全てははかない幻のように。

「わたしの願いを聞いてほしいの。わたしのかわりに、この子たちが大きくなるのを見ていてほしい。わたしは見ることができないから」

 お願い。ジャック・パンサー。

 その言葉が、自分に与えられたものだと知ったとき、もうじゃぱんは形のあるものになっていた。

 そして、美しい姫にはじめて触れ、その瞳に映ったとき。浮き立つような、満たされるような、涙が出るような気持ちになった。

 幸せ、というものを感じたのだ。

 ネコミミ姫は、ぱたぱたと追ってきた。

「じゃぱんー」

「来るな」

 出た声は、不機嫌なような無気力なようなものだった。かわいた、つめたい、苛立つ声。

 姫は困ったように橋の手前で足を止め、そして言った。

「おかあさまのことー、じゃぱんはしってるのー?」

「……」

 じゃぱんは悔しかった。マーガライトのように、ごまかす言葉一つ出てこない。

 姫は一歩、橋に向かって歩いた。

「ひめが、ころしたの?」

 それはいつものような無邪気な声ではない。すぱりとした、浮かんでいる、剥き身の刃のようだった。

 じゃぱんは、その刃の先端が、自分に刺さったような気がした。そう思ったとたん、心から血が流れ出す。姫の母親の面影が、笑顔が、走り去る姿が、一瞬のうちによぎり、溢れた。

(ジャック・パンサー)

 何度もリフレインする、あの響き。

 泣き喚くのをこらえるように、じゃぱんは叫んだ。

「ああ! お前が生まれたせいで、エルスリードは死んだんだ! お前のせいで!」

 内臓を吐き出しそうな勢いだった。目も合わさず、じゃぱんは後ろのねこみみ姫に向かって叫んだ。

 感情が思い余って、息は荒くなり、口はぱくぱくと、ぎこちなく動く。そして涙は、すい、と流れた。

 見ると、姫は覚悟を決めたように、まっすぐこちらを見つめ、待っている。その様子に、じゃぱんはまたカッとなる。

 じゃぱんは、ずっと面白くなかった。

 エルスリードがこちらの世界へ来ることも、そして恋をして、残ることも。

 そして子供を産んで死んでいくことも。なにもかも!

 一番面白くなかったことは。

 すべてが、自分には関係なかったことだ。

 姫が望みを貫き、そしてゆるやかに死んでいくときも、じゃぱんには口出しできなかった。姫は自分ひとりで決め、実行した。

 関係ないからだ。姫にとって、じゃぱんには何一つ関係ないからだ。

「結晶化が進んでいることに気がついたとき、すぐに十二層に引き返せば、エルスリードは死なずにすんだ! だがお前がいることがわかったから、エルスリードは帰らなかったんだ。十二層では、ハラの中の、お前が死んでしまうから!」

 姫は静かな表情で、何も言わない。

「くそう! くそう! お前が生まれなければ、姫は死ななかった! 死ななかったんだ!」

 頬が熱い、とだけ思った。悲しみと辛さと苦しさは、流れ出すことしか知らない。人の肉体になって初めて、涙を流すことを知った。

 だけど、それがなんになるだろう。姫の思い出は消えていくばかり。敵のネコミミ姫は大きくなるばかり。

 ただ流される悲しみに、じゃぱんは叫ぶしかなかった。

「……じゃぱんー」

 そっと、小さな声がした。

 じゃぱんは自分の言ってしまったことを思い出し、びくりと体をふるわせる。

「……じゃぱん。ごめんねー……。ひめが、かーさまを、ころしたのを……、ずっと……」

 弱く、つらなる言葉。ふわふわと、はかなく。

「……しらなかった……」

 どこかで冷静な声がする。お前のせいじゃないんだ。エルスリードが、そう望んだんだ。

 エルスリードが望んだんだから!

 じゃぱんは思いを、声に出せない。胸が詰まって、体を動かせない。

 ただ、一つ。

 言おうとした。

「……わすれて、くれ」

 聞こえただろうか。姫に。姫は、ふるふると首を揺らした。

「わすれない。ひめは、かーさまをころした……。にげちゃ、だめー」

 言って、ふらふらと、姫は背を向けた。その姿は、とてもエルスリードに似ていた。ように見えた。

 ざり、と音がした。

 マーガライトだ。

「姫。来てください。話があります」

「……」

 ふらり、と姫はマーガライトに近づいていく。じゃぱんがそれを追おうとすると、声がかかった。

「じゃぱん君はいいです」

 いつかも聞いた気がする、きっぱりとした拒絶。

「お前……、ネコミミをどうするつもりだ……」

「じゃぱん君には関係のないことです」

 ぐっ、と押し黙るじゃぱん。しかし、じゃぱんにはまだ切り札があった。

「姫が死んだら、俺も死ぬんだ。関係はあると思うがな!」

 その言葉に、マーガライトの瞳は怪しく光った。

「……では、繋がりを絶ってしまいましょう」

 音もなく、スルリと近づいてくるマーガライト。

 なんだと? ありえない……。

 湧き上がる恐怖にじゃぱんは動けない。

 長い指が伸び、ガッと掴まれた。

 一瞬息が止まる。

「……解放されたいなら。そういいなさい」

 緑の瞳は、恐ろしくつめたい。

「今すぐ握りつぶして肉体を破壊し、契約の因果を断ち切ってあげる。それがあなたの望みなら」

 恐怖が全身を支配する。

 妖精に戻れる。ゲートの中にいる今なら、第十二層にも帰ることができる。だが!

 なんだこの恐怖は! これが、肉体の消える恐怖なのか!

 手のひらから、光が浴びせられる。じゃぱんは身を固くした。

「……」

「……意気地がないですね。姫とのシンクロは、解除しておきましたよ。契約も、望むなら解除してあげます。いつでもいらっしゃい」

 その声は、もう冷たくはなかった。

「おしおきですよ。姫をあんなに悲しませて。いずれ嫌でも、知る運命だったのです。あの子は人の痛みを、逃げずに受け止めてしまう子です。それに、あなたの痛みは、あなただけが知っていればいいのです。姫に知らせても、お互いに後悔するだけでしょうに」

 手は、緩められた。

 じゃぱんは呆然と思う。

 後悔。

 そうだ。今も後悔している。

 俺はいつも、後悔ばかりだ……。

 見ると、姫はこちらを見ているが、呼ばない。

 もう、呼ばないのだろうか。

(ねーじゃぱんー)

 それは、ずっと遠い昔の響きのような気がした。

 多分もう、そう言っては、くれないだろう。

 やがて姫はマーガライトに誘われ、どこかに行ってしまった。

「……大丈夫ですか? 姫」

「だいじょぶー……」

 姫はぷるぷると頭を振って、頬をたたいた。

 そこはさきほどの建物の中だった。マーガライトは、何事かを口の中でつぶやく。

「死に急ぐこともあるまいに。私を何故呼んだ? 魔術師よ」

 そこに、ふっと妖精王が現れた。霧のように。

「取引をしたいのです」

 女王はその言葉をとうに聞き飽きたように、顔をそむけ、言った。

「魔術師よ。あなたはわかっているはず。代償のことを。全ては均等に価値がある。何を欲しがり、何を与えてくれるのですか?」

「塔への鍵を」

「ふん」

 サラサラサラ、長い髪がなる。

「あの王の力が必要なのだな。たやすいこと。だが対価は必要」

 ちらりと見たのは、蒼い髪の姫。

「お前は、この姫からとれというのだろう?」

 マーガライトは返事のかわりに、そっと姫の肩を前に押した。

「姫、お前は私に何をくれる?」

「えーと、なんでもー」

「なんでも?」

「なんでもするし、なんでもあげるー」

 なにげに怖いことを言う姫。

「お前は何か、ほしいものはあるのか?」

「えーと、たこやきー」

 ……。

「妖精王よ、この姫は欲が欠けているのです。あるのはただ、素直さと行動力のみ。兄たちを助けるためなら、何でも差し出すでしょう」

「ふん」

「確かめてごらんになれば?」

 挑戦的なマーガライトの声に促され、王は一歩進むと、姫のその蒼い髪にふれた。

「お前の髪は、美しいな。目も、肌も。私の姫の半分というだけではなく、願いまでもたたえているようだ」

「どうもー」

「しかし、そんなものは欲しくは無いな」

 ひゅっ。

 痛みはなかったので、ねこみみ姫には何が起こったのかわからなかった。

 ただ頭上を、風が吹き抜けていった気がした。

 ただ目の前の妖精王は、手の中の何かを見つめている。

 それは、蒼くふかふかの、二つのねこみみだった。

 姫は手を頭上にやって、いつもの感触を探す。

 あれー?

 ない。

 そっと頭にふれると、なにか今までに無い肉の感触にふれた。そして濡れた。

 指をそっと見ると、わずかに赤い血がついていた。

「こんなものは、邪魔だ。私の姫の娘が、こんなものは受け継ぐことはなかった。目障りだったので奪った。これを代償としよう。魔術師よ」

「どうも」

 マーガライトは、何かを受け取ったようだ。しかしぱたぱたと、姫は自分の耳を探し続けている。

「ひめの、ねこみみー……」

 突然、右の瞳から、すう、と涙が流れた。膝はくずおれ、たおれるー、と思ったとき、姫の意識は失われた。

 マーガライトが、破れた服でねこみみ姫を抱いて戻ってきたとき、さすがにじゃぱんは仰天した。

「なにがあっ、た……」

 破れたスカートの布は姫の頭上にあてられている。そこには赤い血が染み出していた。

「緊張がゆるんで、少し血が出てきました。ペンギンを呼ぶので、ちょっと抑えていてください」

「マーガライト!」

「みみだけで済んで、よかった」

 その言葉に、じゃぱんはキレかけたが、今は怒っている場合ではないようだった。

 ひゅううううん、とペンギンが飛んでくる。その冷静な様子を見て、じゃぱんは理解した。

「何があったんだ!」

「ちょっと、妖精王と取引をしたんです。塔の鍵を貰うために」

「かわりは、こいつのミミかよ!」

 その口調では、最初からそのつもりだったのだろう。じゃぱんは唇をかみしめる。

「お前、もしかして姫が酷い目にあうのがわかっていて、俺とのシンクロを切ったのか……?」

「そんなこと言ったら、面白くないじゃないですか」

 魔術師は手際よく消毒し、止血をする。

「すまん」

「謝らなくてもいいですよ。私は姫が殺されても、仕方ないと思っていましたから」

 顔色ひとつ変えずに、マーガライトは言う。そしてふたたび、言い直す。

「私は姫が殺されるかもしれないとわかっていて、連れて行ったのです」

「なんだと……」

「それが姫の望みでしたから。どんなことをしても兄たちを救うと。違いましたか?」

 じゃぱんは姫を見下ろした。汗をかいて倒れるねこみみ。どんなことがあってもがんばると、言った。

 冷静に考えると。

 妖精王と取引をして、生きていることは、奇跡に近い。こいつがエルスリードの娘だということを入れても。

 ネコミミの無くなった姫は、薄く目を開けた。

「おい、ねこみみ」

「むー?」

「……さっきは、ごめんな」

「おきになさらずー」

 姫はまだ朦朧としているようだが、口角を上げて笑った。

「ひめもごめんー」

「なんだ?」

「ひめがかあさまを、ころしたから」

 違う。

 ぽた、と涙が落ちた。ぽた。

「あやまるな。お前のせいじゃない……」

 わかっていた。このねこみみ姫のせいではないと。そんなことはあたりまえだ。

 それなのに死んだことが哀しくて、あまりにも哀しすぎて、憎んだ。

 自分の哀しみにまかせて、なんてことを、言ってしまったのだろう。

「……こわいねー」

「ああ、怖かっただろ。痛いのか?」

「ころされるより、しらないうちに、ころしてることが、こわいー」

 あまりに力なく、なにげなく言うので、じゃぱんは相槌をうった。

「……そうだな」

「もういやー。ころしたくないー」

「そうだな」

 涙は止まらない。

 じゃぱんは思った。俺も、しらない間にネコミミ姫を殺していたのかもしれない。あの時マーガライトを止めなかったのだから。

 無理にでもついていけば、何かができたのかもしれない。何もできなかったとは思うが。

 でも、あのケンカ別れの状態で、もし永遠の別れがきていたら、どうなっていただろう? それは永遠に、後悔したことだろう。エルスリードを止められなかった時のように。

「じゃぱん。ともあれ鍵を手に入れました。これで塔へ入れます。姫、血が止まったら行きましょうね」

「……」

 もう、マーガライトにツッコミを入れるのはやめておこう。この魔術師には独自の考えがあり、それを知ることすら困難なのだから。

「ああ」

「とうってー? おさとうー?」

「……いや」

 じゃぱんは、ガーゼを抑えながら説明する。

「お前、『誰にも辿りつけない塔』って知ってるか?」

「しらないー」

「そうか。そこにはなあ。国で一番有名なネコが住んでいる」

「八百屋の忠ネコのタマさんー?」

「……いや違う。お前の国の英雄、王国の始祖、アレキサンダーだよ」

「むー?」

「いいから、しばらく休みましょう? 姫」

「わかったー」

 ことん、と姫は急に目を閉じた。糸が切れるように。

 じゃぱんは、そっと、ゆっくりと姫の髪をなでるマーガライトを見た。

「急ぎましょう。ここに長居をすればするほど、姫の寿命は縮まっていく」

 魔術師は姫をそっと抱きかかえ、ペンギンに乗り込んだ。

 誰にも辿りつけない塔がある。

 誰かが決めてしまえば、誰にもたどり着けないだろう。

 けれど油断をしていれば、誰かをあっさりと受け入れてしまって。

 そしてまた、塔は崩れていくだろう。

 妖精王は、ねこみみの無くなった姫を見ながら、そんな歌と、エルスリードを思い出していた。

 義理の妹とか、あの子が水を統べる強力な精霊だったとか、そんなことではない。あの姫はわたしの愛そのものだった。

 もうすぐ世界は安定に向かう。その前に、十二層を拡大することは当然のことだった。あの子がそれをやめてほしい、というのは全く理解できなかったし、感傷による、単なるわがままとしか思わなかった。

 いつかわかってほしいの。

 いいえ。今でもわからない。ただわかるのは、あなたを失った哀しみ。永遠に癒されない苦しみ。後悔。私は愛を永遠に失った。

「マーガりん……」

 腕の中で、目を閉じながら、姫はつぶやいた。

「なんです姫」

「あのひと、ないてるー」

「ええ」

 王は泣き続けている。見る事はできなくても、感じた。この層の全てが、彼女の影響を受けているのだから。

「あの人にも、代償が必要だったのです」

 たったひとりのいとしい姫は、永遠に帰ってこなかった。哀しみは永遠に続く。

 妖精王はたったひとりで、十二層で泣き続ける。

 愛するひとを、呼びながら。

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