ねこみみプリンセス 04 なんだかたいへんなことにー。
和室の外障子の向こうからは、午前中の温かい陽が明るくさしこみ、毛布もかかっていない姫の身体を暖めていた。
「姫」
そういって、プラータはそっと姫の前髪に手をかざす。
ぴくぴく、と耳が動いたと思うと、浴衣がハンパにはだけた姫は、重たげに瞼を開いた。
「……むー?」
寝癖のついた頭で起き上がり、眼をこする一国の姫君に、プラータはにっこり笑って声をかけた。
「おはよう、姫」
「おはようー、ぶーたん。じゃぱんがねー、ぐえっとなるのー」
口を半開きにして笑う姫。まだ少し寝ぼけているようだ。
「……あれー、じゃぱん。なおったー?」
姫の眼の焦点が、プラータの横のじゃぱんに合わせられる。姫の邪気の無い表情に、じゃぱんは苦い顔で返し、そのまま口もきかない。
「ねえ、姫」
「むー?」
「姫は、死ぬって知ってるかなー?」
ダイレクトな物言いに、じゃぱんは驚いてプラータに振り向く。
姫は、気にした様子もなく、普通に答えた。
「むー、しってるー。どんなにたたきおこしても、おきてくれないことー」
プラータは静かに微笑んだままだ。
「そうかー、……どうしてしってるの?」
じゃぱんはハラハラしながら、会話の流れに気を尖らせる。
「かーさまがね、おきなくなったの。もうおきないんだって、とーさまがいったの」
……じゃぱんは思い出す。
姫の母親が死んだとき、姫はまだ二つだった。もう二度と起きないのだと言われても、離れようとせず、姫は死骸の横で歌を歌ったり、ずっと話しかけたり、なんどもゆすぶったりしていた。
「おこそうとしたら、とーさまが、かーさまは、たのしいユメをみにいってしまったから、そっとしておいてあげようねっていったの」
小さな耳をした、小さなねこみみ姫は、冷たくなった母親の手に触れて、そしてそっと離れた。「おやすみなさい」と一言、告げて。
「……そうかい。姫は、たのしいユメをみたい?」
プラータの言葉に、緊張するじゃぱん。いよいよなのか?
その問いに、姫の表情は初めてくもった。
「それがー、……ユメはいつも、たのしいよー」
「……そうかー」
満足そうに、プラータは笑った。
そして何を思ったのか、傍にあった毛布を掴み、それで姫をくるんだ。そのまま抱き上げる。
「じゃあ、帰ろうか姫」
「ぶーたん、りょかんの、しはらいはー?」
「済んだよ」
次の瞬間、畳に広がる魔法陣。光を帯びる文様を見下ろして、姫は輝く瞳で言った。
「すうごいー、ぶーたん、これは、なんですかー?」
「ああ、城にさっさと戻る魔法だよ」
「ああー、ワープですねー」
「そう、ワープだよー」
「カーさんはー?」
「先にワープで帰ったよー」
……おい。
本当に姫を、殺すんだろうな。
微妙な雲行きに、じゃぱんは変な汗をかきはじめた。すぐ殺さないにせよ、魔法で動けない状態にして連れて行くとばかり思っていた。
なにしろ、じゃぱんには、姫とプラータ、どちらの思考方法も謎なのだ。どうなっていくのか、不安ばかりがよぎる。
キュルルル、と空間の開く音がして、一行は違う空間に移動した。
澄んだ氷の香りがした。
姫が見た景色は、生まれて初めて見るものだった。
天井が限りなく高く、幅もかなり広い。そこは不思議な洞窟だった。
所かまわずびっしりと、薄蒼い結晶がひしめいている。
結晶はまるで氷のようだが、氷よりは温度の高いような、不思議なつめたさが広がっている。
ピンとはりつめた中に、何かが息づいているような、そんな生命感があった。
「わあー、すうごいいー、きれい、きれいー」
心底楽しそうな姫の声が、洞窟内に反響しつつ広がっていく。じゃぱんには、それが不思議な波動のように感じられた。
「ぶーたん、ここは、どこですかー?」
「ここはねー、姫の城の地下につながる洞窟だよー」
「ちかー?」
不思議そうな声をあげる姫。城に地下があるなんて話は、聞いたことがなかったのだ。
「少し歩こうか」
プラータは姫を抱きかかえながら歩いていく。重いようには全く感じられない。雲を抱くように軽く歩く。足取りも楽しげだ。結晶の突き出た足元は、歩きづらいはずなのだが。
姫も、特にプラータに気を使うでもなく、ただ抱かれるままになり、楽しげに洞窟に目を走らせている。
……まあいいさ。
じゃぱんは思う。あの場所に向かっているのだから、計画は進んでいる。もうこんな第十三層とはおさらばだ。激うざったいねこみみ姫の死体を見れば、俺の溜飲も下がる。
そしてついに、プラータの足が、止まった。
「どうしたのー? ぶーたん。まよったのー?」
「違うんだよ、姫。ちょっと待ってね」
何もない壁の前で止まったプラータは、姫を持ちなおし、すぐ片手だけで抱きかかえると、右手を壁の前に突き出した。
「ここはね、姫の王家の秘密の場所なんだよ。秘術の行われてきた部屋なんだ」
その手のひらから淡い、緑色の光が放たれる。
壁は、音も無く溶け去り、そこから古びた、金属製の扉が現れた。
金や宝石や種々装飾彫りの施された、かなり豪華な扉だ。ひそやかに鈍く光る金の輝きは、誰かが触れることを拒んでいるかのようにも感じる。
「姫。ここに入るよ」
「……」
今まで無邪気だった姫の顔が、緊張している。
「……こわいー」
小さく告げ、顔をそむける姫。
「姫。ごめんね」
優しく笑いかけながら、プラータは扉を開いた。
姫がまず感じたのは、生臭い鉄の匂いだった。
「! カレニーナ……っ!」
聞こえてきたのは、姫の兄達のうめき声。
床と壁を染め上げている、赤と黒。
姫が思ったよりも室内はかなり広く、外と同じように結晶で覆われている。金でできたベッド様の台の上に、二人の王は膝をくずして座っていた。血まみれで。
「えええー? 上にい! 下にいー……!」
血まみれの兄と陰惨な室内に、混乱するカレニーナ姫。
しっ、と小さくプラータは注意する。
「姫、静かに。ここは、神聖な場所なんだよ」
「血が、血ー」
その部屋はあちこちに金で彩られた装飾や台が置かれ、妙に儀式めいていた。
あわてふためく姫の斜め背後から、気配が近づいてくる。
カサンドラだ。
プラータたちを一瞥すると、カサンドラは剣を掴んだまま二人の兄たちに近づいていく。
「にー、にげてー、にーげーてー」
カサンドラであるにもかかわらず姫がそう言ったのは、その剣になまなましく赤い血が付いていたからだ。
姫はばたつくが、どうしてかプラータの腕から逃れることができない。
「兄上たちは逃げられないよー、姫。手と足の腱を切るように命じておいたから」
「逃げろ……、カレニーナ……、ぼくたちは、お前をっ……」
苦しげに搾り出す兄王たちの声。しかし、姫は首を二回横に振った。部屋に、涙が散った。
「ひめは、にげたらだめー、にげたらだめー」
ぼろぼろと、大粒の涙を流すねこみみ姫。
その突然の言葉と涙に、声を失う兄たち。
「いつもいつも、いちばんいいほうほうをー、さがすのー」
瞬きもせずに泣きつづける瞳は、すぐに赤く染まり始めた。
カレニーナ……。
血液不足でひどく寒くなり、気が遠くなっていく兄たち。
もう遠い日々に、兄達はカレニーナにいろんなことを教えた。その一つだろうか。二人はもう、覚えていなかった。
姫にほだされたわけでもないだろうが、プラータは姫と共に、兄たちのほうへ進む。
兄王が、青い唇で苦しげに叫ぶ。
「プラータ、封印を壊してどうするつもりだ……、人類を滅亡させる気なのか! お前はそんなことをして、どうするんだ! 何になるというんだ!」
「あなたは、知らなくてもいい。他人の望みなど、知ってどうなるものでもないのですよ」
やや静かな、哀れむような口調。プラータはすでに兄王たちをすでに遠い上から見下ろしているのだ。
「俺たちを殺してどうなるんだ! 三十年後に訪れる世界の破滅、そんなものがお前の望みなのか!」
弟王が辛そうに叫ぶと、プラータは、幸せそうな笑みをしてこう告げた。
「あいにくそんなに僕は気が長くない。これを実行に移したのは貴方たちが……、双子だったからです」
その言葉に、二人の王は、全身を引きつらせた。その言葉の意味することを知ってしまったから。
まさか。
王たちがなにごとかを返す前に、姫の言葉が響いた。
「ぶーたん……、どうしてなのー? なんで、なんでアニウエたちをいじめるの?」
その言葉は、静寂を生んだ。
姫は声を乱さないように努力しているようだが、実際には、聞き取ることも難しいほどだ。
「……姫は、この世界の『層』のことを、知っているかい?」
「むー、しってるー、ここは、じゅうさんばんめ」
青年は優しく微笑み、よくできました、とくりくり姫の髪をなでた。この世界の者なら、誰でも知っている常識。ここは世界の、第十三番目の層。
「層は、基本的に隣りの層にしか行くことはできない。第十二番目の妖精界。第十四番目の魔界。層が近いほど世界は近く、層が遠いほど世界は遠い。昔むかしは、世界はもっと混沌としていたけれどね。隣り合わせの層は、たまに侵略してくるけれど、層の境界を変えるのは今では難しく、多くは大事には至らない。だけど」
プラータは、部屋を見回しながら、続ける。
「ごくたまに、とても離れた層に繋がってしまう場所が出現することがある。異界への偶発的な抜け穴。まあ、姫的に言うとワープゾーンだね。それを遠い昔、誰かがまとめて、整然とした異界への通路を作り上げた。あらゆる異界の層に繋がる通路。それがこの、『セフィラト』と呼ばれる洞窟だよ。姫の王家はこの洞窟をその血で封印し、ずっとずっとこの場所を護ってきた。四十年に一度、王が選ばれし血をささげてね」
「……とうさまがー」
何かを思い出したのか、姫は顔をゆがめる。
「そうだね、姫の父上は、十年前ここで死んだんだよ。血の儀式を行って、封印を保つために。時とともに封印の歪みが強まって、命を落とすほどの大量の血が必要になるようになってしまったけれど」
ぽた。
ぽたぽた。
姫の涙は止まらない。
「この青い結晶は、通路の力を封じる封印なんだ。そして、契約の血が大量にあれば、……二人分が一度にあれば、この封印を解く事ができる。どの層へも、自由に行くことが出来る」
すっ、とプラータは指で姫の涙をぬぐった。
「やめろ! プラータ! カレニーナに手を出すな……!」
「あいにくですが、じゃぱん君との約束でね。姫には死んでもらうことになっています。でも、貴方達が先です」
スルリとカサンドラがローブの前を広げると、そこから腰をかがめながら、さきほどの黒衣の男が現れた。
「やあジェオートさん。早速仕事にかかってくれるかな?」
呼ばれた男は、無言で王たちに進むと、一言こう言った。
「足りないな」
さすがに、プラータは間のぬけた声を上げてしまった。
「は?」
「円滑な解除を行うには血が足りないようだ。どうやら思ったよりは二人とも貧血気味だったようだな。十分な量がなければ発生する反発力を抑えきれない。解除に失敗すると世界も我々も吹っ飛ぶぞ」
「……急にそんなこと言われても。君達、本当は三つ子じゃないよねえ」
そんなわけないだろう! と叫ぶ力もなく、青い顔でにらみつける王達。
「まあ、時間はかかるが、方法がないわけでもない」
「時間が? どのくらい?」
「三年。三十年待つよりは、ずっと早い。王たちの肉体を結晶化して、血の魔力を放つ状態のまま、生き永らえさせるのだ。継続した魔力の力さえあれば、弱くても時間があれば解除できる」
なにやら考え込むプラータ。
「……うーん、わかった。それで頼む」
「了解」
話が勝手に進んでいる隙に、姫はプラータの腕から抜け出した。
兄たちに駆け寄ろうとした姫を押しとどめようとしたのは、兄たちだった。
「来るなカレニーナ!」
その声にビクッと身を縮めたことが、姫の命を救った。
赤い光が兄たちに向かって放たれ、血が、足が、身体が、青い透明な結晶に変化していった。
姫の叫びが、結晶に響き渡る。
「アニウエー!」
「すまん……、カレニーナ、護ってやれなくて」
徐々に上へ進んでいく結晶化。全て覆い尽くされるのは、時間の問題だった。兄王は言った。
「カレニーナ、最後に、名前を呼んでくれないか、頼む……」
こくりと頷くねこみみ姫。
「あれきさんだー……」
ああ、惜しい。一文字違うよ……と思いながら、兄王の意識は途絶えた。
「カレニーナ……」
弟王も、語りかける。
「かれ……りん?」
ああ、合っているけど、ちょっと迷ったね……? と思いながら、弟王の意識は途絶えた。
姫の兄達は、洞窟に広がるものと同じ色の結晶に、完全に変化した。落とせば壊れてしまいそうな姿を見て、姫はへちゃりと、血の海の上に座り込んだ。
その時、ふ、ふふふ……、と、姫と同じ声で笑い声が聞こえた。
「さあ、ネコミミ娘! 今度はお前が血を流す番だ! 今までよくも、散々俺の精神安定を乱してくれたな!」
「……あー、じゃぱんー」
「キー! その語尾! 今すぐ二度といえないようにしてやる! さあプラータ! 約束を果たせ!」
しかし、プラータは何か考えこんでいるようで、動こうともしない。
「……プラータ! どうしたんだ! さあ、姫を殺せ!」
「それなんだけどねー? じゃぱん君。別に姫を殺したところで、何にも面白くないんだよねえ……」
ため息をついてつぶやくプラータ。思わずツッコミを入れるじゃぱん。
「面白くないってなんだー! いいからさっさとブチ殺せ!」
「うーん……、姫、ちょっとご主人様って言ってみて」
「ごしゅじんさまー?」
「うーん……、これもいまいちかな……」
なにやらブツブツ考え込んでいるプラータに、あわあわと情緒不安定になるじゃぱん。
プラータは姫に向き合い、真剣な顔で話しかけた。
「姫、これからどうしたい?」
「んー、アニウエたちを、たすけるー」
「どうやって?」
「なんとかかんがえるー」
「姫は、城の外で生活したことないんだよねえ?」
「ないー」
「よしっ」
ポンとヒザを打つプラータ。
「じゃあ姫は、がんばって兄上たちをたすけてくれ!」
「わかったー」
力強く了承しあう二人。
「ちょっとまてー!」
じゃぱんは思った。やっぱりこの二人の思考回路はわからない。さっぱり全然わからない。見事に不安的中。
「じゃあ、せめて俺の、姫との契約を解除してくれ!」
「それなんだけどねー? 見慣れているから、じゃぱん君は、姫の傍にいたほうがカワイイと思うんだよねー」
「そんなんしるかー!」
「えい」
パッとプラータはじゃぱんを握りつぶし、そのまま淡い緑色の光を放った。
「……おい、おい! 今何をしてる!」
「魔法」
「どんな!」
「姫とじゃぱん君を、より一体化する魔法。姫が怪我をすればじゃぱん君も。姫がお腹が空けばじゃぱん君も。姫が死ねば……」
サッと青くなる使役妖精。
今までは、姫と一キロ以上は離れることができない、という程度だったのに、そんなに密接にされるとは。
プラータの手が緩められると、じゃぱんはヘナヘナと下へ落ちていった。
「じゃぱん君……、姫を護ってやってくれ」
「じゃぱんー、くちびるふるえてるよー」
「じゃあ、がんばってくれたまえ、姫!」
「がんばるー!」
思考が停止したじゃぱんをそのままに、姫とじゃぱんは一瞬で足元に現れた魔方陣によって、どこかに飛ばされた。
飛ばされたところは、城の前。
お空はどこまでも青く、そこの芝生では、のんきに鳥がぴこぴこ餌をついばんでいたりする。
固まったじゃぱんが意識を取り戻したのは、姫の恐ろしい一言だった。
「じゃぱんー、おなかすいたよー」
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